夏の残像




194X年、夏。
戦争がぽんぽんといい調子で勝利が続き、国じゅうが妙に高揚していた頃だった。
超能力者の力が、本当に世界を変えられるかもしれないと、まだそう思っていた僕たちの未来は明るかった。
僕はまだ、大人たちの言葉を、僕を撃ったあの人のことを、心の底から信じていたのだ。


定期的に行われる陸軍の身体検査の帰り道を、僕は急ぎ足で蕾見家の屋敷へと戻った。舗装されていない砂利道をかけるように下って、大きなひまわりの咲く庭へ向かって、スッ飛んで行った。
 青い空の下に、白いワンピースがまぶしいくらいによく映える。
 ホースで水をまく彼女に、僕は大きく手を振った。
「おーい、不二子さーん!」
 僕に気がついた彼女は、小さな虹の中で僕を見て笑った。
「あら、おかえり」
「うん、ただいま」
 不二子さんの側に駆け寄った僕は、少し乱れた呼吸を整える。
 報告したくてたまらないことがあった。
「あのね、不二子さん」
 と、言いかけた僕に、不二子さんはホースの先を向けた。頭から水をひっかぶり、僕は思わず奇声をあげた。不二子さんは楽しげに、からからと声を高くして笑っている。不二子さんがホースの先端を指で摘まんですぼめるものだから、水圧があがって、勢いよく噴出する水が素肌に突き刺さる。
「痛い、痛いよ、不二子さん!」
 僕は彼女からホースをひったくった。不意の反撃に不二子さんはあっけに取られ、僕は奪ったホースで彼女を頭っからずぶ濡れにしてやった。まんまと仕返しが成功したのが小気味よくて、僕は声をあげて笑った。
「なにすんのよーッ!」
 正当なお返しだったと思うんだが、不二子さんはいつものように理不尽な癇癪を起こし、僕に見事な回し蹴りをくれた。ワンピースのすそがひらりと舞って、白い太ももがのぞく。僕の心臓がどきりと鳴って、呼吸が止まるかのようだった。その一瞬の隙に、不二子さんの足は僕の背中に強烈な打撃をお見舞いし、もう一度、今度は少し違う意味合いで、僕の呼吸が止まる。
 声もなくうずくまった僕に、不二子さんは頭上から怒声を発した。
「あんたねぇぇぇぇ、このワンピースおろしたてよっ! どうしてくれんのっ!」
 けっこう本気で頭に来たらしい。先にやったのは不二子さんだというのに、この理不尽な仕打ちは何だろう。
 僕には文句を言う権利はあるはずだが、不二子さんは反論の暇を与えず、それからずんずんと水道に歩み寄り、蛇口をひねって水を止めると、ホースをその辺りに軽く放り投げた。
「あんたの軍支給のシャツとは違うのよぅ、馬鹿」
 不二子さんは僕をうらめしそうに見下ろしながら、服の胸の辺りをつまんでパタパタと扇いだ。髪からしたたり落ちる水の粒が、太陽に反射してキラキラと輝いて見えた。
 濡れたワンピースは肌にぴたりと張り付き、肌の色が透けている。下着が、柄がわかるほど透けて見えて、僕は見てはいけないものを見たような気分がして、慌てて目をそらした。
「ごめん、不二子さん」
 素直に謝りの言葉が出たのは、僕に後ろめたさがあったからに他ならないだろう。



 不二子さんと僕は、着替えのために一旦屋敷の中へ戻り、それぞれの部屋へ向かった。ちょうどお昼の時間になっていたので、着替えたあとに食堂で再び顔を合わせた。
 僕は相変わらず軍から支給された制服を着ていたから、服を替えても、さっきと同じ格好をしている。不二子さんは薄い水色のブラウスに、白いスカートをはいていた。窓辺に寄りかかる不二子さんが、差し込む光りに映えてまぶしかった。それなのに、僕は何故か彼女から目を離せずにいた。
「なぁに、なに見てるの」
 不二子さんはもう機嫌を直していて、クスクスと笑った。彼女の変わり身の早さには、僕の方がついていけない。
「別にっ」
妙にどぎまぎして、そっぽを向いた。
「あ、そういえば、検査どうだったの」
 僕の動揺なんておかまいなしに、不二子さんは僕の顔をのぞき込んだ。急に不二子さんのドアップが目の前に現れて、心臓がどきんと跳ねた。
「えっ」
「行ったんでしょう? 何も言われなかった?」
「あっ!」
 不二子さんに言われるまで、僕はそのことをすっかり失念していた。それを報告するために急いで帰ってきたというのに、なんというまぬけだろうね。

「そうだ、僕ね、不二子さんに言いたいことがあったんだ」
 僕はすっと背筋を伸ばして立つ。
「ほら」
 僕は自分の頭と、横に立つ不二子さんの頭の高さを、手で測って比べてみる。
 ずっと僕の方が低かったけれど、最近はぐんぐん伸びていて、もう不二子さんと変わらないくらいだった。
「もう不二子さん抜いたんじゃない?」
「やぁね、まだまだよ」
不二子さんはむっとした顔をすると、ピンと胸を張り、背筋を伸ばした。負けず嫌いな彼女は、どんなささいなことであっても僕に負けたくないらしい。僕の方が高くなるのは時間の問題だというのに、見栄を張りたがる不二子さんがおかしかった。
「不二子さん何センチだっけ」
「さぁね、最近は測ってないからわかんないわ」
「うそつき。先月測ったでしょ」
「一ヶ月も前のこと、忘れたわよ」
不二子さんはぷいっとそっぽを向いて、するりと僕の前を通り抜け、まだ準備の出来ていない食卓の席についた。
「あっ、ずるいなぁ、逃げるの」
「ずるいのはどっちよ」
むくれた顔で、不二子さんはテーブルに肘を乗せ、頬杖をつく。
「男の子はずるいんだから」
 アヒルのようにとがらせた口がかわいらしくて、僕は思わず小さな笑みをこぼした。

この先にどんな戦況が待っていたとしても、彼女を守っていくのは僕だったらいいと、大人と子供の狭間にいた僕は、夏の暑い光りの中で密かに思っていたのだ。




2008/8/18
二人がよくつかめてません(爆)。

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