シューティングスター




 特務超能部隊の一員に選ばれたことは、それがたとえ悲劇の序章だったのだとしても、僕にとっては少なからず幸運なことだったのだろうと思う。


 僕の家とてそれなりに裕福で格式高いものだったが、それでも最初に蕾見の家を訪れた時は、魂が抜けるような思いがしたのを覚えている。屋敷はまさに豪邸というにふさわしく、だだっ広い敷地内の真ん中にごてごてと飾り立てられた建物が威厳を保って立ちはだかり、屋敷の周りには西洋風の手入れの行き届いた庭が広がり、季節の花が色とりどりに咲き乱れていた。幼心にも、すごいところへ連れてこられたものだと他人事のように思った。

「よく来てくれたね」
 蕾見家の当主、不二子さんの父、は、にっこりと人のよさそうな笑顔をして、ごつごつした大きな手で僕の頭をなでた。

 僕がかの家に世話になることになったのは、エスパーとしての力を見出され、帝国陸軍の直属部隊、特務超能部隊に入ることが決まったからだった。隊員としてこれから活動していくならば、一般家庭だった僕の家よりも、軍本部に近い蕾見家の方が何かと便利だろう、という判断だった。しかし、というのは表向きで、僕はていのいい厄介払いだろうと思っていた。両親ですら、僕を持て余し困り果てていたことを、誰に言われずとも僕はきちんと知っていた。

 洋式の広間には、高級そうなソファやテーブルが置かれ、その周りを執事や女中などの主だった使用人が何人か、ぐるりと取り囲んでいた。若いのから年を取ったのまで老若男女いたが、大人に混じってひとり、ぽつんと同年代の子供がいた。上品なワンピースに身をつつみ、優雅に長い髪を背中に垂らしていた少女は、一目で蕾見家のひとり娘だとわかる。
 彼女は父の紹介が終わると、ゆっくりと僕に歩み寄り、いかにもお嬢様という可憐なしぐさで手を差し出し、にこりと微笑んだ。
「あたくしを姉だと思ってくださいね」
 見上げた彼女の笑顔は僕には眩しいくらいだった。僕は妙にどぎまぎして気恥ずかしくなってうつむき、差し出された手をおずおずと握り返した。それは、胸が高鳴るような、ときめきのような、不思議な高揚感だった。あんな風に誰かを思ったのは、あれが最初で最後だ。


 それが、不二子さんとの初対面の瞬間である。

 

 その夜は、僕の歓迎会だということで、内輪のパーティが催された。蕾見の家の人々は、少なくとも表面上は僕を歓迎していた。僕のために部屋を一室用意し、服やら本やら必要な物を買い揃え、豪勢なパーティで祝ってくれたのだ。

 けれど、哀しいかな、エスパーとして人々の冷たい視線にさらされてきた子供は、サイコメトラーでなくとも人の心を敏感に悟ってしまう力があるものだ。やさしい言葉をかける大人たちの微笑みの裏に、さげすみや嫌悪や拒絶や打算があったことを、僕は知らず知らずのうちに見抜いていた。
ノーマルばかりだった使用人たちは、口では何と言おうと、無意識に抱くエスパーに対する恐怖を隠しきれなかったし、僕を引き取ると言った蕾見家当主には、僕に英才教育を受けさせ、特務部隊のエリートを創り上げるという、生粋の軍人としての腹があったに違いない。

 素直に喜んで僕を迎え入れてくれたのは、おそらく不二子さんただひとりだけだったろう。

 異端者に人権などない時代だ。直接的な暴力や中傷を受けず、まっとうに生きられる環境があるだけでも、エスパーとしては上等な方であり、幸せなことだった。

 それはわかっていた。親ですらおそれをなして見離し、人々に排除され、痛いほどに己の境遇を理解していた。とは言え、望まずに得た力のためにどうして苦しまなければならないのか、どれほど運命を恨めしく思ったか知れない。いくら心を凍らせて麻痺させても、人々に受け入れられないさみしさはちくちくと胸をさした。


 パーティの喧騒から隔離された廊下でしゃがみ込んでいた僕の前に、ふと不二子さんが現れた。覗き込むように立ち、長い髪が、肩からさらりと流れ落ちる。
「主役がいなくっちゃ、パーティにならないわ」
 彼女は、あきれたようでもあり、どうでもよさげでもある、そんな口ぶりで言った。パーティに連れ戻すために呼びに来たというよりは、ただ見つけたので話かけた、という態度だった。
 僕は、自分が中心にいながらどこにも居場所がないことを感じ、にぎやかさがむしろさみしさを呼ぶことに耐えられなくなっていた。大勢の人に囲まれた中での孤独は、ほんとうの孤独よりもみじめさが増した。
 僕がじっと不二子さんを見ていると、不二子さんは次第に悲しそうに顔を歪ませた。
「どうしてそんな哀しそうな顔するの」
 そう言われ、彼女の表情が自分を鏡に映したものだと気がついた。
「あなたが来て、あたくしは嬉しいのに」
 不二子さんの淡々とした口調には、どこか静かな怒りを孕んでおり、僕を責めているかのようだった。 だって、僕にはどこにもほんとうの居場所がないんだ、とは思っても言えず、僕はうつむいた。
「いらっしゃい」
 不二子さんは僕の手を取り、どこへ行くとも言わず強引にその場から僕を連れ出した。
 僕は、パーティの騒がしさから遠ざかることに安心し、何も言わずについて行った。
彼女が向かったのは屋敷の最南端にある屋根裏部屋だった。端にあるにもかかわらず、掃除のよく行き届いた部屋で、ほこりっぽさやかびのにおいは少しも感じなかった。
「いいもの見せてあげる」
 不二子さんはいたずらっぽくにやりとして、天井につく窓を開けた。小さな円形の穴を、不二子さんはスカートの裾がめくれるのも気にせずに、壁に足をかけてよじ登り、するりと通り抜けた。窓は子供が一人ようやく通れるくらいの大きさだった。
「ほら、あなたも」
 不二子さんが手をさしのべる。僕は彼女の真似をして、その小窓を通り抜け、屋根の上に出た。
 その途端、夜空に広がった無数の星に、思わず感嘆のため息が漏れた。今にも降ってきそうなほど、輝く点が濃紺の空にひしめいている。
「わぁ、きれい」
「ね、すごいでしょう」
不二子さんは得意げに言い、腕組をした。
僕はしばらく、その星空を飽くことなく眺め続けた。その間、不二子さんは黙って僕の隣にいた。
「あなたはさみしくなんかないのよ――――」
 ふと、不二子さんが言った。僕が不二子さんの顔を見上げると、不二子さんは空の方を見ていた。
「これからはあたくしがずっと一緒よ。さみしくなんかないでしょう?」
 それから、ね、と小首を傾げ、不二子さんは僕に微笑んだ。僕は一瞬呆気にとられ、何を考えるまでもなく、うん、そうだね、と頷いていた。
「じゃあ、戻りましょ。誰か、あたくしたちを探していたらいけないから」
 僕はまた不二子さんに手を引かれ、パーティをしている広間へと向かった。手から伝わる温度が、僕の居場所を教えてくれているような気がして、喧騒の中へ戻ることを不思議と厭わなかった。もうそこに孤独はなかった。


それからの日々を、僕たちは仲良しの姉弟のように過ごした。
不二子さんにとっても、僕にとっても、お互いはかけがえのない初めての仲間だったのだ。
もうひとりではないという思いは、穏やかで温かい安心できる光りに包まれ、やわらかに輝いていた。


流れ星のように短かったけれど、ひどく大切だった時間は、僕には失いがたい思い出のように思えた。




2008/8/28

精一杯の糖分

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