繰り返し、繰り返し、まどろみの中で見る情景があった。
どことも知れない町の、高層ビルの上。地上の人影は随分と小さく見えた。曇天の下、突風にあおられながら、私はまっすぐ前に銃を構えている。顔にかかる髪がひどくうっとおしい。
数メートル離れた先に、学ラン姿の男が立っている。白い短い髪で隠れてしまった顔は見えないが、あれは兵部京介なのだと何故か私は知っていた。
「殺せるの、不二子さん、君に僕が――――」
せせら笑うように、彼は言う。
風が吹き荒れる音がうるさいのに、不思議と彼の言葉はしっかりと私の耳に届いていた。
――――殺せるわ! あたくしはそのためにここに来たの!
声の限りに私は叫ぶ。すると、京介は口元ににやりと不敵な笑みを浮かべながら、足を擦るようにして、じりじりとゆっくりにじり寄って来る。
「そんなチャチな銃で、この僕を殺せると思っているの?」
京介が一歩距離を詰めるごとに、私は彼の放つ得体の知れない空気に気圧されて後じさる。
張り詰めた雰囲気の中で、私は京介に狙いを定めながらも引き金を引けずにいた。
普通ならば、この状況は私に有利だろう。よほど的をはずさない限り、私が彼に負けることは有り得ない。だが、彼は普通ではない。高超度のエスパーだ。普通では有り得ないことを涼しい顔をしてやってのけるのだ、彼は。
少しでも気を抜けば、私の方が殺されるのではないかという思いが、私を満たしていた。
暑くもないのに、背中を嫌な汗が伝う。
私と対峙したまま、彼は微笑んでいる。それが悔しくもあり、また恐怖でもあった。
銃を握る私の手はかすかに震えていた。
「やれるものなら、やってごらんよ」
京介が言った瞬間、硬直していた場面がぐにゃりと歪み、弾けるように京介が動いた。
私は反射的に引き金を引いた。狙撃の腕はそれほど悪くない。それは間違いなく京介の心臓をど真ん中に撃ち抜いた――――つもりだったのに、弾丸が胸へ届くよりも早く、彼は目にも止まらぬ速さで私の目の前に移動していて、私の銃を持つ手を握っていた。撃ったと思ったのは彼の残像でしかなかった。
「なっ……」
私は唖然として京介を見上げる。黒かったはずの髪は真っ白だったが、それ以外には何も変わらない、私の知っている兵部京介がそこにいた。
ふと、出会った当初の、頭をなでられるくらいに小さかった頃の京介を思い出した。彼の身長が私を追い越してしまったのは、もう何十年も昔のことだというのに、ついこの間のような感覚がした。
つかまれている部分が熱い。彼が触れていることが、私をひどく動揺させていた。あの凄惨な事件から、私たちは何度も顔を合わせながら、接触することを恐れ、決して近寄ろうとはしなかった。こんなに身近にいるのは、一体いつぶりかもわからない。
私は彼の手を振り払おうとしたが、どんなに力を込めても京介は手を離そうとしなかった。単なる力比べでは、私が負ける。
京介は銃口を自分の左胸に押し付けた。彼は銃と一緒に私の手をがっちりとつかみ込んでいて、思わずのけようとした手も微動だにしなかった。
「いいよ、撃ってよ、不二子さん」
京介は自嘲のような笑いをこぼした。世界を諦観しているような、寂しげな目だった。彼は私が引き金を引くことを、静かに見守っているかのようだった。
私の指はすでに引き金にかかっている。少し引けば、ズドン――――だ。
それが私が長年望んでいた瞬間だったはずだ。彼を葬ることが、私が生きる唯一の意味だったはずだ。
それなのに、私の指は固まったように動かない。この引き金を引かなければ――――頭は必死にそう命令しているけれど、体はそれを拒むように硬直してしまっていた。
「ほら、早く――――」
京介は銃をぐっと自分の体へと引き寄せる。早く終わりにしてくれ、とでも言わんばかりだ。
早く、早く、早く――――京介の声と、私自身の声が、頭の中でこだまする。
私は、恐ろしかった。この引き金を自ら引くことが、とてつもない恐怖だった。
「やめてっ!」
私は思わず叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。
その先を私は知らない。場面はいつもそこで終わってしまうのだった。
目が覚めると、見慣れた白い天井がある。
起き上がってみても、普段寝起きしている部屋の風景が広がるだけで、何ら日常に変化はない。
私は自分の右手を見つめた。そこには当然、何もない。それなのに何かを持っていた感覚が、妙にリアルに残っていた。それから、にぎにぎと握ったり開いたりを繰り返してみた。
引き金を引かずに済んだ安堵と、引き金を引けなかったことへの落胆が、同時に私を満たして行く。
「やぁね……」
感傷的な気分が広がるのが嫌で、わざと声に出してみた。
「これじゃまるで皆本クンと一緒じゃない」
繰り返し見るこの夢が、イルカの伊―九号中尉が予知した、皆本光一と明石薫の十年後の風景と丸きり同じなのである。ただし彼らと違って、自分たちの姿は今と同じだったが。
何十年もの間、変わらない姿でいるのだから、十年後も同じ姿をしていたとして何ら不思議はない。だから、まるで予知夢のようなこの場面が、一体どれほど先のことなのか予想がつかなかった。
しかし、私には予知能力はない、と思う。少なくともこれまでには、予知夢らしい予知夢も、正夢だって見たことがない。何度も同じ夢を見るからと言って、未来に起きることを見ているわけではなく、自らの不安が作り出した妄想を見ているのだとも言えた。
京介を葬るのは、この私――――そう決心しながら、心の底から彼を憎んでなどいないことを、私はずっと知っていた。それどころか、年月を重ねるごとに、かつては見て見ぬふりをしていた愛情が、確かに私の中にあることを痛いほど悟ってしまった。
この手が幕を引くことを疑うわけではない。けれど、共に生きるという有り得ようもない迷夢を完全に無視できるほど、私は強固になりきれなかった。
これはそんな心の揺れが作り出した幻―――― そうであったらいい、いや、そうでなくては困る、そう思いながら、私は寝巻きのまま部屋を飛び出した。
恐らく、呼び出した皆本光一が近くで待機しているはずだ。彼の若い生気でも吸い取ってやれば、理由なき情緒不安など吹っ飛ぶに違いなかった。
2008/8/20(2010/6/17改訂)
うにょろーん。過去の文章ってただの恥ですね。