「なぁ、古市。ちょっと…」
ふいに男鹿の右手が伸びてきてオレの左の耳に触れた。。
「え?」の形に開いた口に男鹿の乾いた唇が重なる。触れ合っただけでは済まなくて、隙間から舌を差し込まれた。
って、おいおい、白昼堂々と何をやってんだお前は!
「んんっ」
一応振りほどこうとしたがダメだった。何しろ逃げるなとばかりに馬鹿力にがっちり捕まっている。
「ちょ、男鹿っ」
わずかに離れた隙をついて呼び止めると、案外素直に男鹿は引いてくれた。なかなかオレが乗って来ないのがどうやら不満らしい。
「何?嫌?」
「嫌とかいう以前の問題だ!」
嫌か嫌じゃないかという単純な問題で言えば、そりゃあオレだって嫌いじゃないですよ。ちゅうくらいしたいですよ。
だけど場所を考えろ、場所を!
学校だぞ?いくら屋上で人がいないからって不埒な真似をしていいわけがない。
いつ誰が来るかもわからん。仮にも公共の場だ。それも神聖な教育現場だ!
「そういうのがもえるんだと思うけど」
男鹿は至って真面目に言った。
ああ、やっぱり馬鹿なんだ、こいつ。
「あのな、万が一にも人が来たらどうすんだ」
「ちゅーくらいで何だよ。ガキじゃあるまいし」
「そういう問題じゃないから」
お前はことの異常さをわかってないな、多分。
そりゃあ可愛い彼女だったらチューの一つや二つ見せびらかしたってちょっと妬まれるくらいで済むだろう。
でもオレとお前だ。男と男だ。世間様は、それを容易に許容しない。
万が一にも知れたら、一体どんな目で見られるのか、てめーは想像したことあるのか。
「誰かにバレたらおしまいだ」
「そこまでヒタ隠しにする必要はないだろ」
「あるだろ。てか、しろよ、頼むから」
オレはアランドロンのせいでホモ疑惑をかけられた時の家族の目を忘れねぇ。一週間は腫れ物を扱うような白々しい笑顔を向けられたんだからな。
何だか奇異なものを見るように、見てはいけないものを見るように目をそらす。それでいてジロジロと注目する。そういう視線にさらされんのはもうゴメンだ。
結局、本当に何でもないから冗談で済んだが、冗談でなかったとしたら、永遠にあのギクシャクしたのが続くんだ。そんないたたまれなさは正直もう味わいたくない。
「だから人に知れるような危険性は侵したくないの」
「ふーん」
男鹿はやっぱり腑に落ちないという顔をしていたが、やがてオレの肩に手をかけ、あろうことか突き飛ばしやがった。
「痛っ」
全く身構えてなかったオレはあっさりコンクリートにひっくり返り、軽く頭の後ろをぶつける。
「いってぇな男鹿!何すんだよ!」
「気が変わった」
「はぁ?何の」
「お前がそこまで言うなら、ここでやろうぜ?」
「はぁぁ?何言ってんの!?」
仰向けになったオレに、男鹿が身体ごとかぶさって来る。
何をする気だ、とはあまりに愚問だろう。
やろうぜ、とは誘っているようだが、男鹿はもう答えが確定しているような目付きをしている。その証拠に、掴まれた両手はびくともせずオレの拒否は許さないと言っている。
「男鹿、何考えてんだ、離せよ!」
「嫌だね」
男鹿は自分が優位なのをいいことに、あちこちまさぐり始める。
「ばか、どこ触ってんだよ…!」
そこで殴り倒しゃいいのに、男鹿に殴るのは避けたいなんて妙な遠慮をしているせいで、抵抗はちっとも抵抗になりゃしない。オレは男鹿に甘いのか。
それとも口では嫌だ嫌だと言っているが、案外どっかで何かを期待しているんだろうか。
「べ、ベル坊が…っ」
「見てない見てない。寝てる」
「いや、でもっ」
「古市、お前めんどくせー」
「うわっ」
いくら嫌よ嫌よと口で言ってみせた所で、哀しいかな、身体は正直なのである。言い訳のしようもない。理性と本能は、本能の圧勝だ。
こうなったらもう男鹿の好きにさせてやる。
やたら青い空を見上げて、そう覚悟した。
end