殴られた、という事実はオレにとってガリレオもニュートンもびっくりするような真理の発見だった。
こいつがオレに乱暴するわきゃないという確信は何の根拠もないただの妄信に過ぎない、という真理である。
こいつの馬鹿力はハンパじゃない。ということは散々殴られた奴を見てきたのでよく知っているつもりだったが身を持って知るのは初めてだった。
相当痛いんだろうな、とは思っていたけれど想像は経験にはるか及ばない。それはもはや痛いとかそういう次元を越えて、とにかく、ただの衝撃だった。
何でオレが殴られなきゃいけないの? などと思う間もなく殴られた瞬間にぶっ飛んでいた。それは意識が、という意味でもあるが、物理的肉体的にもぶっ飛んで、部屋の端まで投げ出された。
殴られついでにベッドの角に後頭部を打ち付けて二重苦だ。
オレは殴られた頬を押さえて床にうずくまった。頭を打ったせいか、目の前がぐらぐらしてキモチワルイ。
痛いという言葉さえ声にならず動けないでいると、男鹿がガッとオレの襟元を掴んで引っ張り上げた。そのままベッドの上に放り出されたかと思うと、仰向けになったオレの上に男鹿の膝が乗っかる。だめだ、怖い。
ぐ、と体重がかかると苦しいというよりは怖かった。こいつの前に人体の弱い部分を晒していることが。
男鹿が怖いなんて、人生始まって以来だ。それは思っていた以上にショックでオレを打ちのめした。とっさに目をつむる。
「古市」
男鹿の低い声に呼ばれて、びくりと身をすくめる。抵抗したり反撃したりという発想は最初からなかった。だって相手は男鹿だ。男鹿の強さはオレが一番よく知っている。敵うわけがないのは百も承知なんだから下手につついて蛇を出すよりは、ただ黙ってやり過ごす方が賢いような気がした。
重い沈黙。
それに耐えてじっとしていると、しばらくしてスッと圧迫感が消える。
「すまん」
そう言って男鹿は、乱暴にベル坊を掴みあげて部屋を出て行った。バタンと大きな音を立ててドアが閉まる。
たつみィ、と階下でお姉さんの呼ぶ声がした。
正直、男鹿がいなくなってくれてホッとした。
気が緩むと、一体何なんだ、と怒りがこみ上げて来るのと同時に、ぽろぽろと涙が出てきた。まさかこれしきで泣くとは驚きだ。
一発殴られたくらい、過ぎ去ってしまえば何てことない。まだズキズキと疼くけれど、そんな痛みはそのうち消えるだろう。泣くほど痛かったのは、殴られた頬でもぶつけた頭でもなく、もっと別の場所である。
end