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デートと彼女 後編

 帰り道、オレはまっすぐ我が家には帰らずに、途中で男鹿の家に寄った。
男鹿のせいでデートは台無し。この怒りをどこかにぶつけないと気がすまなかった。
「てめーのせいでめちゃくちゃじゃねーか! どうしてくれるんだ!」
 オレがどんな剣幕でまくしたてようが、男鹿はどこ吹く風とばかりにケロッと涼しい顔で聞き流している。オレがいくら怒鳴っても馬耳東風なのはいつものことだ。だが、それが余計に腹立たしい。
「おい! 男鹿! 聞いてんのか!」
「む。聞いてるぞ」
「む、じゃねェェェ!」
 オレは基本的に暴力に訴えることはしない方なのだが、この時ばかりは目の前のアホ面を殴りたくなった。超殴りたい。殴ってやったら少しはオレの怒りも少しは治まりそうだ。
 思わず握った拳を振りかざす。だが振り下ろした所で、どうせ男鹿には当らないことはわかっていた。万が一男鹿が避けなかったとしても、軽々と受け止められて終わりだ。男鹿にダメージを与えられないんじゃ、すっきりするどころか、余計に腹が立ちそうだ。オレは甚大なる精神力でもって、どうにか膝の上に手を下ろした。
「オレはああいう連中とは無縁のはずなのに、どうしてこうも絡まれなくちゃならんのだ? オレが何かしたか? オレの何が悪い?」
 恨みを込めて、声を低くした。男鹿には、勢いよく突っかかって行くよりも、どちらかというと陰湿にネチネチやる方が効くだろうと思い直した。
「オレが知るかよ」
 逃げようとする男鹿をとっちめて、チクチクと突く。
「知らねーわけねーだろ。てめーがあちこちで買ってくる恨みをオレに売り飛ばしに来てんだよ。お前は一体何をしたんだ。なんか心当たりあるだろ」
「わかんねーよ」
「ふざけんなよ。てめー以外の原因は考えられねーんだよ」
「何でだよ。オレのせいだって証拠はねーんだろ」
「ねーよ。ねーけど、経験則から考えてお前で間違いない。過去オレに絡んだ奴らは100%お前に恨みを持つ奴だった。そもそもオレにはお前以外の心当たりはないし、お前には色々あるだろ。何かあるはずだ。思い出せ」
「………」
 男鹿は黙った。反論する言葉が思いつかないらしい。まあ、大体こいつが口でオレに勝てるわけはない。男鹿はしばらく思案していたが、やがて思考を放棄した。
「やっぱ、わかんねー」
「テキトーなこと言うなよ。胸に手ェあてて、よーく考えてみろ。山のように原因があるだろうが」
「あるけど、ありすぎてわかんねー」
 斜めに返ってきた答えに、オレはがっくりうなだれた。ああ、なるほど、と納得してしまうのが何だかやる瀬ない。
「ああ、もう、お前ほんとヤだ。なんでオレはお前みたいのと仲良くしちゃったんだろうなぁ。なぁ、男鹿。お前、わかってんのか? 今日のデートを取り付けるのに、オレがどんだけ苦労したことか。そんで、今日一日の流れをどんだけ入念に考えて悩んで、どんだけ楽しみにしてたか、お前にわかるか? わからんだろ。それをお前はぶち壊したんだからな。どう責任取るつもりだ」
「オレにどうしろって言うんだよ」
「考えて償え」
「知らねーよ」
「知らないで済まされるか!」
 男鹿は知らぬ存ぜぬの一点張りだ。終いにオレは「もういいわ」と言って責めるのをやめにした。言っていて段々虚しくなってきたのだ。言うだけ無駄である。
 オレが黙ると、部屋はシーンと静まり返った。

やがて男鹿が無表情にぼそりと呟いた。
「お前のデートなんてオレの知ったこっちゃねー」
 その言葉尻だけ捉えれば、せっかくオレが終わらせた話を蒸し返すつもりか、と一瞬憤ったが、男鹿の顔を見たらオレの溜飲はすっかり下ってしまった。
 いつの間にか、オレ以上に男鹿の方が剣呑だ。
オレも大概ムカムカしていたので、男鹿の様子など気にせず一方的にがなり立てていたから、一体いつから男鹿が不機嫌になっていたのか、全然わからなかった。気が付いたら、思った以上で、ぎくりとした。
いや、不機嫌というよりは、もっと深刻だ。オレにギャーギャーと八つ当たりされて単に面倒くさなっただけではなく、本気で傷つけられた、という顔だった。

 あれ? オレ、なんかマズイこと言っちゃったかな。
 
 何だか急に不安になって来た。
 オレがこれくらいわめき散らすことはよくある話で、男鹿なら何ともないだろうとタカをくくって好き放題に言葉を吐いていたのだが、知らず知らずのうちに、どこかで男鹿の地雷を踏んだのかもしれなかった。
だが、深く考えもせずにしゃべっていたせいで、オレは自分で何を言ったんだかはっきり覚えておらず、よって何が地雷だったのかは不明だ。

 男鹿は黙って前髪を掻きあげる。
「あー、男鹿。まあ、その、なんだ」
 オレは慎重に言葉を選んだ。やっぱり今日のデートの失敗はこいつにも責任がある、という点を譲るつもりはないのだが、それにしても少々言い過ぎたかな、という反省を込めて、一応のフォローをしておく。
「彼女とダメになったからって、どってことないんだけどさ」
 それも本音である。女の子と対面でしゃべるのがあんなに疲れるとは思ってもみなかった。けっこう大変だ。結局のところ、彼女が帰ってしまった原因は、遅刻うんぬんを差し引いてオレが面白くないからだろう。オレだって別段、楽しかったわけではない。
 そう言うと、男鹿は顔を上げてオレをじろりと睨んだ。いや、本人に睨むつもりがあるのかは知れない。元々そんな目つきの男だ。
「古市」
「ん?」
「じゃ、お前、どうしてデートなんかしたわけ?」
「え? そりゃ、デートはしたいだろ?」
「何で?」
「何でもヘチマもねーだろ。かわいい女の子が隣で歩いてたら、気分良いじゃんか」
「そうか?」
「そうだろ。男なんてそんなもんだろ」
男鹿は首を傾げた。
「お前、何で怒ってたんだっけ」
「は!?」
 その根本的な発言にはびっくりさせられた。さっきまで再三繰り返していたことを、こいつは理解してなかったのか? と思ったら、愕然とした。つい再び声を荒げる。
「だーかーら! お前のせいでデートがダメんなった、って何度も言ってんだろうが!」
「彼女とダメになったから、怒ってたんじゃねーの?」
「は?」
「デートがダメんなったのは怒るくせに、彼女はどうでもいいわけ?」
 男鹿の問いは、意外にも虚を突いた。
いや、本来なら当然の範疇かもしれないが、少なくともオレには意外だった。
「だから、お前のせいでオレが変なことに巻き込まれるだろ。そのせいでデートがダメになったのは腹立つよ」
「彼女のことはいいのか?」
「何度も言ってるけど、お前のせいで、オレはわけのわかんねー連中にしょっちゅう絡まれるんだってば。オレはそれが嫌なの。だからお前の喧嘩にオレを巻き込むなっつってんの」
 オレの怒りの比重は、つまり「デートの失敗」の方にかかっており、「彼女とダメになったこと」ではない。オレにとってそれが別問題だということが矛盾しないのは自明の理であるのに、男鹿にはそれがわからないらしかった。

 要するにオレが何に憤っていたかと言えば、恋に破れたことではない。散々頭を悩ませ、走り回り、頑張った結果が、男鹿の素行の悪さのせいで惨敗したのでは、オレの努力が報われない。ただそれだけの話だ。

「彼女はいいのかよ」
 男鹿はしつこい。
「や、だから最初っからそう言ってんじゃん」
 ぺしっとツッコミの手を入れるが、どうも男鹿は納得が行かないようだった。

 オレたちが口をつぐんでいると、階下で「たつみィ〜」と声がした。どうやら出かけていたお姉さんが帰って来たらしい。
 男鹿がふと立ち上がる。部屋を出て行く前に、一度振り返った。不思議なことに、さきほど感ぜられた男鹿のヤバそうな雰囲気はすでに吹き飛んでいた。
「古市、オレが悪かったわ」
 男鹿は突如、素直に謝罪の言葉を口にした。しかし全く悪びれる様子はなかった。初めと同じような、ケロっとした涼やかな顔に戻っている。
「た〜つ〜みィ〜」
 お姉さんが呼ぶのへ「へいへ〜い」と間の抜けた返事をして階段を下りて行く。

「んん?」

オレには男鹿の変化の理由が全く謎である。そうなると、そもそも奴の機嫌が険しくなったと思ったのは、オレの気のせいだったか、というような気さえした。



end

2010.05.29