平行線

もう喧嘩しねーんじゃなかったのかよ。
額から血を流す男鹿を見て、オレはため息をついた。
こりねー奴。
ギョッとしたのは一瞬だけ。オレもすっかり慣れちゃって、ダラダラしたたる血を見ても、ちっとも驚かなくなっちまった。ああ、またか、と思うだけだ。
「向こうから来るんだから仕方ねーだろ」
これでも我慢したんだ、と男鹿はぶつぶつ言い訳をする。そんなこた最初からわかってんだ。お前が手を出さなきゃいいって問題じゃなくて、オレが言いたいのは、喧嘩に巻き込まれない工夫をしろってことなんだが、こいつはそれをわかっているだろうか。
「男鹿、目つぶれ」
ぺちょぺちょと男鹿の顔に消毒液を塗ったくってやる。
「痛っ! 古市、痛い!」
「我慢しろ、我慢」
「もう少し優しくできねーのか、お前は……」
できねーんじゃなくて、しねーんだよ、馬鹿め。
「ちょ、もういいわ。もう自分でやる。古市、それ貸せ」
男鹿は鏡を引っ張り出して、オレからピンセットと脱脂綿を奪うと、鏡を覗きながら恐る恐る消毒液を塗り始める。殴ったり殴られたりする時は大胆なくせに、こういう時には妙に臆病だ。
「おい、男鹿。そんなチマチマやってたんじゃ、終わんねーぞ」
「うるせー。いてててっ」
自分でやる、と言った男鹿だが、どう見ても下っ手くそだ。まごついてるのを見ていると、どうにも手を出したくてムズムズする。
「男鹿、やっぱ貸せ。オレがやる」
「いいって。お前乱暴なんだよ」
「お前のヘタクソよりはマシだ」
「古市、痛い!」
「うるせー。これしきでさわぐな。さっきまで、どんだけ殴られても平然としてたくせに」
そこがオレにはわからんのだ。オレは一発でも殴られりゃ痛くてたまらない。だからオレはとっとと逃げる。だが男鹿は被害甚大になればなるほど、ボルテージが上がって張り切る。そのくせ、終わったとたん、糸が切れたように大げさに痛がるのだ。
「喧嘩してる時っつーのは、頭に血ィ昇ってて、よくわかんねーんだよ。ほら、よくあるだろ。血を見るまでは怪我してたなんて気が付かなかったのに、見たとたん痛いような気がしてくるだろ。あれと同じことだ」
理屈はわからんでもないが、やっぱり腑に落ちない。男鹿は続ける。
「それに、ちょっと血ィ出たくらいで逃げたらかっこ悪ィだろーが。アイツらにみっともない姿さらすくらいなら我慢します」
なんだ、そりゃ。ちょっと血ィ出た、ってレベルじゃねーし。
「男鹿。それ、ただの見栄だろ」
「男は見栄張って生きるもんだろ」
「アホか。んな見栄を張るのはお前ら馬鹿だけだ。つか見栄張るんなら最後まで張っとけよ。何でいつも終いにオレんところに泣きついてくるんだよ」
「お前に見栄を張って、何の得がある」
「それを言ったら、そもそも見栄張って何の得があるかオレにはわかんねーよ」
わかんねーのか、と男鹿はやけに真面目な顔をして悩んだ。
多分、男鹿がどう言葉を尽くしても、オレにはこいつの考え方が理解できないだろう。何年幼馴染をしていても一向理解できないのである。一生かかっても理解できないような気もする。根本的な部分で食い違ってるのだ。埋められない溝、って奴だろうか。
「ほら、できたぞ」
「いてっ」
男鹿の額に貼ったガーゼの上をぽんと叩く。
「痛てーのが嫌ならもう喧嘩すんな。めんどくせーから」
おう、と男鹿は、ぬけぬけと返事をした。絶対嘘だ。こいつはわかってねーんだ、オレの気持ちなんか。腹立つなぁ、チクショー。


end

20100527